書家 森本 惺大
もりもと せいだい
MORIMOTO Seidai
大阪府大阪市出身
師
- (漢字) 故・江口大象先生 山本大悦先生
- (かな) 幸田華堂先生
経歴
- 書道研究 璞社 常任理事
- 読売書法会 幹事
- 受賞歴:読売奨励賞(漢字・調和体部門)、秀逸(かな部門)
- 日本書芸院 一科審査会員
- 全関西美術展 無鑑査
- 文部科学省後援 毛筆書写技能検定1級
- 日展作家
- 十呦會書道教室主宰
幼少より書を習う
大阪生まれ大阪育ちながら、父の故郷である奈良で、縁あって仕事をし、書道教室を始める。
学生時代から大人になるまで
中学時代まではまじめにお稽古に励んでいたが、高校時代は勉学と部活動で多忙となったため徐々にさぼり気味になり、大学時代に至っては書道以外の楽しいことに現を抜かし、やる気も遠のいていった。就職してからも惰性で書道を続けていたが、如何せん、作品を書かないので当然実力はガタ落ち、段級は上がらず、といった日々を過ごしていた。
漢字とかなの二刀流になるきっかけ
子供のころから指導してくれていた師匠はそんな私を見捨てることなく指導してくれていたが、そんな師匠から、「私はもうあなたを教えられない。」突然の宣告であった。私がさぼりだした頃から、師匠は次第に持病が悪化していたのだった。続けて、「あなたがこれから本格的に書道をするなら、漢字なら漢字の専門家、かなならかなの専門家を自分で探して習いに行きなさい。」いきなり大海に放り出された小魚状態の私はしばし途方に暮れていたのだが、何故か諦めることなく、しかも欲張って漢字とかなの両方の師匠を探し出し、現在に至る。
私と漢字
漢字は性に合って野太い字で気分よく書いていたところ、競書で最優秀賞を取り写真版にもよく載ったため得意げになっていたが、さぼり癖がついて低空飛行に。その後も上昇気流に乗れず、子供の字から大人の字になるにも四苦八苦する始末で、なかなか元に戻らない勘を取り戻そうと、現在まで書き続けている。
私とかな
かなはセンスもなく臨書も大嫌いで平安の雅さからは程遠い字を書いていたが、前師匠が元々かなの専門家であったのと、寸松庵色紙が書きやすかったため、徐々に平安時代に近づいてきた。ここで辞めるのは惜しいと思い、現在まで書き続けている。
私と調和体
調和体は故・江口大象に師事するまであまり書いたことはなかったが、試しに競書出品用に書いて持っていったら何故か褒められた。どこがいいのかわからないまま、添削されたところを直して持っていったらまた褒められて、でもやっぱり何がいいのかわからないままで、得意げになるどころか、頭には「?」マークしかなかった。そしたら今度は展覧会に調和体で出すことを勧められたため、それ以降の大作はほぼ調和体で出品することになり、現在まで書き続けている。 なお、前師匠も私に調和体での展覧会の出品を勧めていたことから、何か伏線があったと思われる。